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住田啓子

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住田啓子は、ニットデザイナーの草分け的存在であった母・平田良子氏からジュリアードレースの技法を引き継ぎ「空間に糸を編む・結ぶ・綴る」自由な表現を確立しました。

 

 経済的にも文化的にも恵まれた幼少期を過ごし、仕事を夢中で追いかける母の背中を見ながら育った彼女は感受性も自立心も人一倍強く育ちます。大学卒業後は母の教室の講師を務めながら、ニットデザイン、そしてジュリアードレースの制作に打ち込み続けました。

 日々の暮らしを愛し、作品を世に発表する気は露程もなかった彼女に天啓が訪れます。

「世の中との接点を閉じてはいけません、外の世界に発表すべし」という友人の言葉に「なぜ」と問うと「文章を広告の裏になぐり書きするのと原稿用紙にきちんと書くということは全く違うことなのです」という答えが返ってきました。作品を人前に出すことはそこに風を送ることでありよどみを無くすことなのだという理解をした瞬間でした。

 

 初個展は49歳の時。そこからは堰を切ったように情熱が溢れ出し寝食を忘れジュリアードレースの制作に没頭していきます。空間をキャンバスに糸を筆にひたすら無心に描いていくこのテキストの無い技法は、持久力と忍耐力に合わせて想像力を要する果てしない作業です。そこには母の技術を見様見真似で習得し無心に手を動かし続ける姿がありました。

 

 幼い頃から病弱で 40 歳まで生きることは難しいかもしれないと言われ続けていた啓子にとって創作は最大の歓びであり、生きていると実感できる証だったのでしょう。白内障で視力を損なう経験をしたときは金糸を多く用いました。無彩色だからこそ手で糸を紡ぎ感覚で生まれたものの確かさが信じられ、無彩色の中でこそ広がる金彩の豊かな色彩表現にも挑戦しました。

 

内なる声の集合体が、天に向けて解き放たれていくような圧倒的な光を放つジュリアードレースの世界。「天空に糸を綴る」その作品には住田啓子の生き方や心の全てが反映されています。誰かが支えていないと崩れ落ちてしまいそうな繊細さと同時に燃えるような情熱と強靭な精神を併せ持ち、 ジュリアードレースと対峙し続けました。自宅の屋上には花々が咲き誇り、それを育て眺める時間が彼女にとっては宝物であったといいます。

 

作品のタイトルは、彼女が「彼さん」と呼び続けた、生涯の伴侶である住田正則氏によって名付けられました。草花たちが生命の喜びを歌い上げるように伸びやかに広がっていく様、宇宙の星々のような、光や風や水や雪や思い出や、この世の美しいもの達が輪舞するような不思議な世界観と呼応します。

住田啓子 略歴

 

 

1972年  上智大学卒業 武蔵野高等編物学院講師

     ニット展開催(〜2004年まで)

 

1997年 個展「天空に糸を綴る かぎ針で描くバロックの世界」

     銀座ミキモト

 

1999年 個展「天空に糸を綴る その2 金彩の旋律」

     銀座清月堂ギャラリー(〜その4まで)

 

2002年 ジュリアードレース作品集『天空』(平凡社)発行

    個展「天空に糸を綴る その3 幽玄の旋律」

 

2004年 ヴォーグ学園にてジュリアードレース教室開催(〜2011年まで)

 

2005年 住田啓子ジュリアードレース研修室展「天空の花はな」(以降2007年・2010年開催)

     ニットフェスティバル2005「日本で活躍しているニット作家8人展出展」

   東京都立産業貿易センター

 

2006年 個展「天空に糸を綴る その4 時代(とき)」

 

2007年12月〜2008年2月

     「天空に糸を綴る 住田啓子ジュリアードレース展」

     アサヒビール京都大山崎山荘美術館

 

2013年 個展「天空に糸を綴る その5 輪舞」・研修室展「天空の花はな」の合同展を開催

有楽町朝日ホール

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